2010年8月11日水曜日

からすさま便り vol. 8

さて 先月のことになりますが 28日 RedPepperの乗り鉄しん吉落語会vol.4に行って参りました!

落語のない生活はやはり退屈で退屈で、、、。

かけはった演目は
<遊山船>
<乗り鉄トーク>
<深山隠れ>
の三本。

<遊山船>
最初はちょっと固いな〜というか 喜六と清八の会話が威勢が良すぎて 真ん前の席で見ていた私には ちょっと五月蝿いくらいだったのですが 見ているうちにだんだん自然になっていきました。

しん吉さんは細かい表情やしぐさを良く拾っている方やなあ、、、というのは 客が卵焼きをなかなか食べないでショウガばっかり食べてるのを見ている喜六のいらいらした羨ましそうな様子が良く出てたりして 間近で見ていて楽しいんですね。

客が芸者の胸に手を突っ込んでいる箇所や 「川へ落ちても流れんように」なんてシャレたセリフおならでいう鵜たるわと喜六のかみさんが言う箇所は端折って 上品に納めていたな という感じです。

<乗り鉄トーク>
しん吉さんの場合 これがまくらにあたるのでしょうか?それともただ喋りたいだけなのでしょうか?まあ そのへんはいいとして、、、えー 詳しい内容は忘れました。だって 鉄じゃないんだもん,,,。「200系300系400系、、、」なんて数えられても 乗り鉄の皿屋敷かと思うくらいで、、、。

今回の旅は 青春18切符を使って東京へ来たので その辺りの話や ユースを使うことが多いんですがみたいな話やったと思います。

ああ 思い出した ユースを使うことが多いのですが ユースに集まる人種のうち 大体三種類いて それが自転車乗りの人たち バイクで回ってる人たち そして鉄の人たち。自転車乗りとバイク乗りは どこどこのお弁当はおいしいとか どこどこの坂では天気が変わりやすいとか 情報交換が出来て また 翌日も同じ方向へ出かけて抜きつ抜かれつしながら同じホステルで出会ったり というほんわかした 友情のようなものが芽生えるのですが 鉄だけはその輪には入れず ひたすら時刻表とにらめっこである ってな話をしてましたねー。

<深山隠れ(みやまがくれ)>
なかなか演じられることのない 珍しいお話だそうで、、、。

あるところに御難(興行が上手く行かず 仲間がばらばらになった)にあった噺家がいて それがふらふらになってたどり着いた天草の海の側の村にいついてしまう。あるとき 年に一度の町への買い出しに20人ほどの若いものが噺家だった男を案内として山越えをして出かけていくも帰って来ない。

いぶかしく思った村人たちが 何度も捜索隊を派遣するがそのたんびに帰って来ないので 村には男手がいなくなってしまって 残るは庄屋の息子二人のみ。その兄も戻らなかった道を 弟が大小を帯刀して向かってみると
美しい女性、、、しかしその様子はどうも狐狸妖怪のようにも見える。

そこで 武士の修行もしたことがあるというこの弟 娘をかっさばき その手下の山賊たちの首をとんとんとんとんとーんと落として さらに出口のない釣り天井の部屋でも山賊どもの残党を殺してつきつめたところ この家の親方が1000人の血を神様に供えて大願成就となる ということで 村人たちを殺害していたと知る。

そのお頭と呼ばれているのは なんと 90から100に手が届こうという老婆で 夫が天下に恨みを持ったまま死んだ森(もり)宗意軒(そぉいけん)。芝居やったら格好よく決まるのですが 落語ではふらふらのふにゃふにゃの婆で 逃げる逃げる。それを捕まえて 近くの川へざぶざぶーっとつける。「お前も侍なら なぜこの婆を殺さぬ」「宝物のありかを白状せい」「なぜにこの年寄りをえらい目にあわすのんじゃい」「婆は川で洗濯じゃ」(桃太郎のパロディ)


えー 最初の噺家さんは途中までで主人公役を降ろされてしまうのかい?とか いくら庄屋さんの家が名字帯刀を許されていて 修行したといっても 谷を天狗性飛び切りの術ができるとか こうは強くなれへんやろ というつっこみはなしにして 現代的なくすぐりもあり なかなか面白いお話でした。しん吉さんも こちらの方がリラックスしていたみたい。

声質が近いのかなあ,,,ふとした拍子に しん吉さんの声が吉朝さんに聞こえてくるのが不思議でした。

深山隠れ詳細はこちらのHPへ
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug196.htm



投稿者: からす 、ブログ名: 桂よね吉ファン倶楽部横浜支部、日付: 2010年8月10日16:51

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